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解散っ!

さて、これにてブログも最終回。
年末に発表される「今年の漢字」のように
「今MBA留学の単語」をひとつ選ぶとすると、きっとこれ。
あえて日本語で『クラッシュ』

1) Crush; 成功体験と夢と現実で感じたこと
高校で1ヶ月語学留学して、私の英語けっこう通じるじゃんと思って
新卒での就職も国際部を選び、英語の仕事したいとか言って
なんとなく英語できる風の私が
TOEFL GMATで苦戦したところから自分の中でcrushが始まりました。
やっとのことで留学が始まっても、授業の発言もそんなに鋭いものではなく、
大したリーダーシップも発揮できず、
ものすっごい大きな憧れを抱いてやってきた太平洋の向こうのアメリカよりも
実は飛行機で数時間のアジアが好きだったというオチ。
もしかしたらそれはMBA流によく言うout of comfort zoneかもしれないけど、
結局、仕事も人付き合いもcomfort zoneに戻ってきてるのが今の自分…。
  
2) Crash; 事故った
交通事故は当てられたのと当てたのと2回。(パンクもしました)
実は当てた話、続きがあって
ネット上で調べた中古車としての市場価格よりも
受け取る保険金価格のほうが大きかったのです。
すなわち、事故らずに2014年生に売るよりも事故ったほうが得だった。
更に為替の影響もあって、1年間アメリカで車を使っても
車両の本体価格についてはほとんど自己負担なしでした。
いやー、私、持ってるなぁ。
20140410.jpg


3) Have a crush on...
卒業直後くらいから流行りだしたZeddのClarity.
意味深な歌詞も相俟って、100回以上聞いているくらい思いが詰まってる曲。
青春にしては少し遅くて、恥ずかしいけど、世界中で自分探ししたテーマソング。
出会って、衝突して、傷ついて、また出会って。クラッシュだらけのvideoも大好き。


アメリカ、1人でたくさんドライブしたな…。



というわけで、当ブログはこれをもちまして解散っ!おしまいっ!です!
この自分探しブログ、本当にwww(=World Wide Web)で残していいのか?恥ずかしい…。
私個人への留学、キャリア、自分探し等のお尋ねはココナラを使ってくださいね。
ミシガン向け会計士向けがありますが、細かいこと気にせずどちらでも。
より新しい、生のミシガンGMBA情報は現役生ブログが定期的に更新されています。
(2014年生すごいね!卒業まで無事に続きそう!)

ミシガン大学(Ross)Global MBA2014年生の徒然日記

Ross GMBA 2015の日記

世界各国からのご愛読どうもありがとうございました。
Michigan Ross GMBA, Nanyang MBA, Indian School of Businessを目指す人
女性として、会計士として、社会人としてMBAを目指してあきらめないすべての人に
何ものにも変えがたい素晴らしい留学生活が訪れますよう応援しています。

2014年4月 30才もあと数日で終わる休日に 杏仁
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気付きとか その3

「結果報告書」の文章でまだ引用していないものが見つかりました。
ちょっと刺激的な内容かもしれませんが、
提出先からお咎めもないし、大した読者もいないと思うので
実名は伏せ、そのまま掲載してしまいますね。



留学期間を通しての自由記入欄

奨学生1期生のN氏からも聞いていたことだが、
MBAを通して世界が大きく変わるくらいの学びがあったかというと、学問的には少ない。
私は会計士試験が経営学の広範囲を網羅しており、かつ、
監査業務でも様々な業種に携わり、
ルーティンではなく学びがある仕事だったからだと思っている。

また、MBAは詰め込み授業であり、
ノート持ち込み可、またはグループでのレポートやプレゼンで評価される科目も多い。
人によって異なるとは思うが、会計士試験勉強より知識の定着率は低いと感じた。
会計士試験で学ばなかった分野、
例えばマーケティングやリーダーシップ等は面白いと感じたが、
会計やファイナンスのように答えがひとつに定まるものではないため、
今後のビジネスに徐々に効果が出てくると信じたい。

留学中も何人かの公認会計士の同僚、後輩から受験相談を受けた。
当奨学金の知名度も上がり、今後も受験生が増えてくるのではないかと思う。
しかし、奨学金を受けることで
卒業後の進路が監査法人に限定されてしまうのではないか、という懸念も大きいようだ。

個人的には、MBAに行くような20代後半から30代前半にとって、
MBAで学んだことを大手監査法人で生かすのは厳しいと感じている。
理由として、大手監査法人ではマニュアル化が進んでおり、
チームにダイバーシティ(多様性)も少なく、
各個人が学んだ経営手法を生かす必要性が低いと感じるからである。
マネージャー以上になれば活躍の場が広がるかもしれないが、
逆にマネージャー層はMBAで学ぶ意義が薄くなると感じる
(米国人は20代中盤から後半で行くことが多く、
若いクラスメイトからは学びが少なくなる傾向)。

私個人としてMBA留学はとても良い経験になったと思うが、
全ての公認会計士・準会員にMBAを薦められるかというと難しい。
このようなジレンマを後輩にどう伝えていくかが奨学生としての課題であると感じる。



蛇足ですが、一連の報告書は
同じフォーマットで住所や学校名を書かされるのがおっくうだったので
いつも「経過報告書」を書き換えしたものを使っていて
留学修了時にも同じノリで出したら
「『結果報告書』のフォーマットで提出し直してください」と指摘されました。
さ、さすがですね・・・。

更に蛇足ですが、
いつも直筆署名をして、原本を郵送していました。
一時帰国時に日本から出したり、
シンガポールに遊びに来た親に持って帰って出してもらったりしていたので
消印で留学の証拠を確かめるとかはなさそうです。

気付きとかシリーズ
その1 2012年2月から7月、主にアジア生活
その2 2012年8月から2013年1月まで、主にアナーバー生活

種、根、芽から何かへ

明けましておめでとうございます。
2014年、ついにClass of 2013の次の年、
過年度卒業生という立場になってしまいました。早い!

12月の週末に加え、25日から30日までは毎晩、
時には昼も使って忘年会や友達と会って食事してました。
ほとんどがMBAや留学つながり。

TOEFL/GMATの勉強やエッセイを書いていた頃の受験仲間は
受験テクニックや合格者情報をシェアし合う、
Give&Takeを前提とした関係だと思っていた。
スコアも低くて、コネもない私の居場所は小さいと思っていた。

私たちはそれぞれのちょうどいい時期に
Best Schoolに行ったり、行かなかったりして
FacebookやブログやTwitterでゆるく繋がる仲間になっていた。

私はどういうわけか、
そんな受験関係の「知り合い」を戸別訪問して、
無理やり「仲の良い友達」に昇格させてしまう図々しい旅を始めた。
世界各国、アメリカ各地で
学校の自慢や愚痴、思い出話、「あの人は今」の噂話、
そして将来への希望や制約、現実について夜遅くまで語ってきた。

そして2013年12月、日本。いつの間にかこれだけ多くの人に
「会おう」と言ってもらって、話題も尽きないほどあった。

点数が上がった下がったとか、奨学金出たとか、
カウンセラー変えたとか、チラチラ横目で気にしていた関係が
こんなに大好きな仲間になるとは、本当に予想もしていなかった。
距離的には時に地球の反対側になるほど離れていたのに、
仕事、家族や恋愛、何でも話せて笑いあえる仲間になっている。

いつの間にか撒いていた種が、
少しずつ根を張って、芽になってきたところが、今、なんだろうな。

別にこれをビジネスに繋げたいとかそういうことは思ってない。
今後、大企業のマネジメント層に行くか、ベンチャーや起業に転向するか、
家族志向になるか、日本か海外かで話題も変わってくるはず。
これから大きな木になるのか、小さな草で終わるのか、まだわからない。
また横目で進退を気にするライバル的な関係になるかもしれないし、
話題が違い過ぎて疎遠になるかもしれない。

近い将来はわからなくても、Maroon5のPayphoneを聞いたら
あー、この曲流行ったころ、あんなことに悩んで
あんなことで大笑いして、えーっと、ラーメン、なりたけの話とかしてた!
って胸がきゅんとなる一瞬は
遠い将来まで、死ぬまで枯らせたくない。

MBAを終えて 友情編

先週木曜のファカルティ向けプレゼンとクライアント向けプレゼンを終え、
金曜のパーティをもって全てのカリキュラムが終了しました。
TOEFL、GMATに一喜一憂、
いや、一憂一憂ばかりしていた日々から
長い年月を経て2012年2月、MBA生活はスタートしました。

518日もあったらしいんだけど、私にとっては一瞬でした。
毎日が眩しいくらい輝いていたかというと、実はそうでもない。
だけどきっと人生ってそんなもので、そのうちキラキラしてくるだろうから
数年経って思い出すのが楽しみ。

恋愛と友情のバランスに勉強が手につかなかった高校時代や、
いろんなことが悔しくてたくさん泣いた大学時代、
これだからコンサル()は!!と怒りに震えた社畜時代、
甘みと苦味がある日々こそ私の心にずしりと重みを与えているから、
きっとMBAの518日もそんな日々になるのではないかな。

さて、項目ごとに振り返ってみると

◆友情
ひよこまめさんの名記事を参照のこと。

というのは手抜きなのですが、ほぼほぼ同意。
アナーバーに来たらネイティブの友達もいっぱい作って
クラブ活動(踊らない方)も積極的に参加して
クラブ(踊る方)も行っちゃってあわよくば国際恋愛
とか企んでいたんですが、特になかったですね。
なくもないけど、理想通りじゃなかったってことで。

やっぱり自分は
ネイティブじゃないって負い目を感じてしまっていたし、
それ以上の原因は
「共通の目的・関心」を持つ友達を見つけることが難しかったこと。

クラブ活動も
Japan Business Association(JBA),
Business+Education,
Ross Indian Subcontinent Association(RISA),
Golf,
Camera,
に登録したはずだけれど、JBAは恐らく通算5回くらい参加、
Business + Eduはパネルディスカッションと就活関連に2回参加、
RISAは私がミシガンにいる間は就活クラブだったため参加せず
(3月にはホーリーとかやってたみたいだけど)、
Golf, Cameraに至っては一度もメールが来なかった。

熱い友情を育むには
辛かったり苦しかったりする何かを一緒に乗り越えたり(例:部活仲間や同僚)
一生ものの体験を共有したり(例:あいのり)する必要があると思うので
そういう点でアナーバーにいる間はちょっと寂しかったなぁ。

でもGMBAの仲間、特にタイや台湾の子たち、独身仲間とは仲良くなれたので
今後も結婚式に呼ばれたり、呼んだり、旅行の時に集まったり
そういう関係が続くといいなぁと強く思います。

インドはそこにいるだけで、強い連帯感が生まれた気がする。
(勝手に思ってるだけかもしれないけど)
学校の授業やルームメイトはもちろんだけれど、
例えばこの日とかこの日とか。楽しかったなぁ。

長くなったので
他の勉強や自分探しのことはそのうち書きます~。

さて、明日からまたMBA友達訪問の旅、
MBA×私訪問=雨 
のジンクスはからっと夏晴れ西海岸でも続くのか?! 

男性に左右される女性の人生

MBA生活でやりたいこと「国際恋愛」

あーやり残したー・・・中学の頃から憧れてたのにー・・・

と思ったら、インドを離れて2ヶ月経った今、
某インド人(既婚)からしつこいくらいの猛烈なアプローチを受け、
To Do listを1個クリアしました。
私がしたかったの、こんなのじゃない・・・

ま、こんなことはどうでもいいんですが。

偶然、ここAnn Arborで同じ中学出身の方とお会いしました。
私は田舎とまでは言いませんが、地方都市の公立中学出身だったので
卒業生の多くは自転車で通える地元の公立高校へ
または電車で数駅の私立高校へ進学というのがスタンダードです。
なので、どちらかと言うと1時間半かけて都内の高校へ通いはじめた
私の進路の方がぶっ飛んでいます。

高校以降はせいぜい地元が同じ程度で
同じ中学の人に会ったことが一度もなかったので、
その日は本当にびっくりして嬉しかったです。

緑の3本ラインのジャージを着ていたあの中学校からたどり着いたのはここ、Ann Arbor.
でも私たちの進んできた道はきっと全然違っていたはず。

私は今までの人生、自分でコントロールしてきたことが多く、
他人にあれやれ、これやれ、と指示されたとは全く思っていません。
もちろん、受験で失敗して志望校に行けなかったり、
仕事のチームのアサインは自分でコントロールできませんでしたが、
大枠の「会計士になる」「英語を使う仕事をする」
「MBA留学する」「海外生活する」などは
機会を見つけ、自分で選択し、努力し、
周囲の人々の応援を受け、もぎとってきたものだと感じています。

でも、一方で、素敵な旦那様を見つけ、
旦那様を支えるためにAnn Arborに来てしまうという人生もあったわけで。
もちろん、その場合、Ann Arborに行くというのは
自分の選択結果ではないから、不本意だったり、嬉しかったり、
個人によっていろいろあると思うけど・・・

そう、私は男性はもちろん、
「他人」に「人生を決められた時の経験・感覚・気持ち」
を持っていないのです。
もしかしたら、嬉しいかもしれないし、楽だと思えるかもしれないし、
ストレスや苦痛かもしれない。

いつもハンドルは絶対渡さないとか、むしろ奪われたら奪い返すくらいの勢いだったから
もう皆、私の人生に口は出さず、私の好き勝手にさせてくれるようになったけど
もしかしたらそろそろ誰かにハンドルを譲るとか
頼ってみる経験もした方がいいのかもしれないね。

インド人(既婚)か・・・? いやいやないない。

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